清三郎 旅まくら 連載開始【郷清三郎とは】

2015/01/19
清三郎 旅まくらの始まり

明治時代中頃、八代:郷清三郎がまだ開通したばかりの列車(東海道線)に乗り、 日本中を旅して地元の神社「多賀神社」造営の資料集めに奮闘する。 美濃国黒野村(現:岐阜市黒野)の多賀神社は、どんな想いで造営されたのか、 その奮闘記を子孫である十一代:郷和彦が本ブログにしたためる。

八代目:郷清三郎

八代目:郷清三郎

郷清三郎(ごうせいざぶろう)とは

郷清三郎は、弘化元年(1844)~大正10年(1921)
美濃国黒野(現:岐阜市黒野)七代:勝右衛門の長男として生まれる。
郷純造の甥であり郷誠之助とは従兄に当たる。

25歳の時維新を迎える。
純造が東京麹町二番町に住んでいた為、郷家では
純造や誠之助のことを「番町」と呼んでいた。
純造の指示で岐阜市黒野に(多賀)神社や岐阜市小野・正法寺に
観音堂の建立を委託される。
元来旅好きの清三郎には、一石二鳥の喜びであった。

※下写真は、昭和十四年に十代:浩に宛てて送られた誠之助の写真である。
十代:郷浩は、清三郎から見て孫に当たる(筆者:和彦の父である)。

十代目:郷浩に宛てて送られた郷誠之助からの写真

十代目:郷浩に宛てて送られた郷誠之助からの写真

清三郎は、この命により神社・仏閣の見聞を広めるため
全国"行脚"の旅をする。
開通したばかりの東北本線や東海道本線等、明治時代の旅は、
文明開化の波と共に、何もかもが新鮮に映り、新しかったに違いない。
今回の連載ブログも、この行脚で郷家に残された資料を元に
「清三郎 旅まくら」と題して子孫である十一代:郷和彦が物語を
書き記す。
コレを記す私、和彦が旅好きなのも、これに繋がるもので
あるのかもしれない。

それでは、「郷清三郎 旅まくら」の始まり。

当時、旅先で必ず買ってきた地図・鳥瞰図の一部(写真は日光)

当時、旅先で必ず買ってきた地図・鳥瞰図の一部(写真は日光)