仙台 青葉城・広瀬川と芭蕉の足跡「旅枕」(5)

2015/05/02
仙台町歩き

宇都宮発9時52分→仙台着午後6時40分。およそ9時間を掛けて仙台に着いた清サンは、駅前の旅館に宿をとった。途中大きな駅に白河(12時31分着)と福島(3時40分着)があった。昼飯は白河で駅弁とお茶代わりに2合の酒瓶を買った。遅い昼になったが美味しく食した。尚、鉄道料金は一円四十九銭だった。

名勝絵入改正仙台市内全図 明治25年8月30日(480×390)

名勝絵入改正仙台市内全図 明治25年8月30日(480×390)

翌朝清サンは鶏の鳴き声で目が覚めた。だが目を開けようとしても瞼が開かない。指で瞼をこすり上下してみると少し薄明りが射した。が、瞼の裏あたりがゴロゴロするし、少々痛みも熱もある。水屋で目を洗い、濡らした手拭いを目に当て半時(1時間)ほど寝床で枕した。清サンに思い当たる節があった。それは、昨日汽車の窓から何度も顔を出し景色を観たせいで、炭煙(けむり)が目に入ったのだと分った。トンネルで窓を閉め忘れた時もあった。
女将さんの声で階下へ降り共部屋で朝飯をとった。目は大分良くなった。他に客は5~6人いたが殆んど行商人であり、旅人は多分清サン一人であった。隣に坐した客人に仙台の見物処の教えを乞うた。
客人の言う近くの土産屋で名勝入りの地図を求めた。(下図参照)

清サンの仙台の知識としては、伊達政宗公(初代藩主62万石)を祀った青葉城(青葉神社)と広瀬川、 そして芭蕉の足跡位だった。

絵図を見て、町が碁盤の目のように整然と並んでいる事と、広瀬川が以外と、蛇行していることに気づいた。そして、思っていたより沢山の名勝があるのに驚いた。

数ヶ所に絞り見物することにした。
イ.芭蕉辻:駅ヨリ西ヘ八丁 仙台ノ中央ナリ此処二管内哩程原標アリ
ロ.宮城県庁:芭蕉辻ヨリ北へ十丁 句当台通リニアリ内二警察本部有リ
ハ.青葉神社:県庁ヨリ北ヘ十丁 北山二アリ政宗公祭リタル 五月二十四日
二.第二師団司令部:駅より西へ十五丁 川内旧青葉城
ホ.瑞鳳殿:司令部ヨリ北西ヘ十丁 政宗公御霊屋ナリ (何れも下図参照)

※『広瀬川ノ水源ハ宮城郡作並村水上山ト風倉山ノ二山ヨリ発シ
仙台経テ名取郡袋原村二至リ名取川ト合シ閖上浜二至リ海二入ル』と地図の肩に記入あり

※絵図:明治25年8月30日出版
編輯発行兼印刷者 仙台市国分町二丁目五十四番地 盛光堂 蜂屋十馬

つづく

次号は塩竃神社を掲載 

イ.芭蕉辻・管内哩程原標あり

イ.芭蕉辻・管内哩程原標あり

ロ.宮城県庁 内に警察本部あり

ロ.宮城県庁 内に警察本部あり

ハ.青葉神社・伊達政宗公祀る

ハ.青葉神社・伊達政宗公祀る

二.第二師団司令部 川内 旧青葉城・大手門

二.第二師団司令部 川内 旧青葉城・大手門

瑞鳳殿(ずいほうでん)

瑞鳳殿は伊達政宗公を祀った霊廟(れいびょう)である。
国宝だった瑞鳳殿が米軍の戦火で焼失したが、再建された瑞鳳殿も素晴らしい建築物と聞く。

現在の瑞鳳殿はこちら

イ.芭蕉辻・管内哩程原標あり

ホ.瑞鳳殿(ずいほうでん)・政宗公御霊屋(おたまや)

ここで一言

清サンの住む稲葉郡黒野村は昔から俳句が盛んであった。
蕉風を世に拡げた、蕉門十哲の一人「各務支考」は美濃国の生まれで蕉門二世を継いだ。
又、五世の「安田以裁坊」は清サンの住む黒野村の生まれで共に功を成した。
東北の地「奥の細道」で、芭蕉の足跡に接した清サンは感激した。その結びの地大垣は美濃国である。

広瀬川に架かる大橋(下図参照)は、その昔から青葉城への大手筋の如く真っ直ぐだった。 正面に青葉城跡の第二師団司令部の大手門が見えた。折しも日清戦争(明治27年7月~28年3月)が始まり、そのせいか司令部に門兵が何人もいた。遠巻きに大手門と脇櫓を観て瑞鳳殿へ廻った。

仙台駅に急いだ。仙台発午後3時10分→塩竃3時40分着の汽車にどうにか間に合った。料金は十銭。
塩竃には海老藤蔵という旅館が時刻表に一軒のみ掲載されていた。
早めに宿を取りスケッチした画をまとめた。

大橋・広瀬川に架かる鉄橋

大橋・広瀬川に架かる鉄橋

その他写真

その他清サンが興味を持ち見物したかった処の写真(拡大)

躑躅岡 (榴ケ岡)

躑躅岡 (榴ケ岡)

イ.芭蕉辻・管内哩程原標あり

宮城紡績器械場

改良劇場仙台座・東四番丁

改良劇場仙台座・東四番丁