仙台 青葉城・広瀬川と芭蕉の足跡「旅枕」(5)
宇都宮発9時52分→仙台着午後6時40分。およそ9時間を掛けて仙台に着いた清サンは、駅前の旅館に宿をとった。途中大きな駅に白河(12時31分着)と福島(3時40分着)があった。昼飯は白河で駅弁とお茶代わりに2合の酒瓶を買った。遅い昼になったが美味しく食した。尚、鉄道料金は一円四十九銭だった。
翌朝清サンは鶏の鳴き声で目が覚めた。だが目を開けようとしても瞼が開かない。指で瞼をこすり上下してみると少し薄明りが射した。が、瞼の裏あたりがゴロゴロするし、少々痛みも熱もある。水屋で目を洗い、濡らした手拭いを目に当て半時(1時間)ほど寝床で枕した。清サンに思い当たる節があった。それは、昨日汽車の窓から何度も顔を出し景色を観たせいで、炭煙(けむり)が目に入ったのだと分った。トンネルで窓を閉め忘れた時もあった。
女将さんの声で階下へ降り共部屋で朝飯をとった。目は大分良くなった。他に客は5~6人いたが殆んど行商人であり、旅人は多分清サン一人であった。隣に坐した客人に仙台の見物処の教えを乞うた。
客人の言う近くの土産屋で名勝入りの地図を求めた。(下図参照)
清サンの仙台の知識としては、伊達政宗公(初代藩主62万石)を祀った青葉城(青葉神社)と広瀬川、
そして芭蕉の足跡位だった。
絵図を見て、町が碁盤の目のように整然と並んでいる事と、広瀬川が以外と、蛇行していることに気づいた。そして、思っていたより沢山の名勝があるのに驚いた。
数ヶ所に絞り見物することにした。
イ.芭蕉辻:駅ヨリ西ヘ八丁 仙台ノ中央ナリ此処二管内哩程原標アリ
ロ.宮城県庁:芭蕉辻ヨリ北へ十丁 句当台通リニアリ内二警察本部有リ
ハ.青葉神社:県庁ヨリ北ヘ十丁 北山二アリ政宗公祭リタル 五月二十四日
二.第二師団司令部:駅より西へ十五丁 川内旧青葉城
ホ.瑞鳳殿:司令部ヨリ北西ヘ十丁 政宗公御霊屋ナリ (何れも下図参照)
※『広瀬川ノ水源ハ宮城郡作並村水上山ト風倉山ノ二山ヨリ発シ
仙台経テ名取郡袋原村二至リ名取川ト合シ閖上浜二至リ海二入ル』と地図の肩に記入あり
※絵図:明治25年8月30日出版
編輯発行兼印刷者 仙台市国分町二丁目五十四番地 盛光堂 蜂屋十馬
つづく
次号は塩竃神社を掲載
清サンの住む稲葉郡黒野村は昔から俳句が盛んであった。
蕉風を世に拡げた、蕉門十哲の一人「各務支考」は美濃国の生まれで蕉門二世を継いだ。
又、五世の「安田以裁坊」は清サンの住む黒野村の生まれで共に功を成した。
東北の地「奥の細道」で、芭蕉の足跡に接した清サンは感激した。その結びの地大垣は美濃国である。
広瀬川に架かる大橋(下図参照)は、その昔から青葉城への大手筋の如く真っ直ぐだった。
正面に青葉城跡の第二師団司令部の大手門が見えた。折しも日清戦争(明治27年7月~28年3月)が始まり、そのせいか司令部に門兵が何人もいた。遠巻きに大手門と脇櫓を観て瑞鳳殿へ廻った。
仙台駅に急いだ。仙台発午後3時10分→塩竃3時40分着の汽車にどうにか間に合った。料金は十銭。
塩竃には海老藤蔵という旅館が時刻表に一軒のみ掲載されていた。
早めに宿を取りスケッチした画をまとめた。