日光東照宮「旅枕」(2)
明治27年初秋、黒野村を出立した清サンは東京・麹町の郷純造邸に一宿した。久しぶりの再会で、ドイツ留学から3年前に帰朝した従兄の郷誠之助や郷温も加わり話に花がさいた。清サンの手元に、東北本線の時刻表と料金表がある。この時刻表があれば鬼に金棒。大凡の予定が組める。(画像参照)
【東北本線の時刻表及び料金表】
明治25年7月16日出版 発行編輯兼印刷者:鈴木誠三郎
大日本旅館改良組東北部印刷所 仙台市北櫓町7番地
・上野発8時50分→宇都宮着(止)12時12分 料金66銭
・宇都宮発12時25分→日光着2時05分 料金25銭 計91銭
尚、二等席は2倍、上等席は3倍の料金である。
参考:時刻表日光の覧に「小西屋喜一郎」、「神山徳平」二軒の宿名あり。
宇都宮からおよそ1時間20分で日光駅に到着した。早速宿に荷を降ろした清サンは夕飯までの間散策に出た。
初秋の日光の山頂には少し紅葉が見られた。取り敢えず神橋までの十丁(約1㌔)を歩いた。日光の道は前あがりで、自然と身体が前屈みになる。人の往来は結構あり店の前で立ち止り、土産の品定めをしているのか、人の輪が出来ている店が所々ある。
湯葉や羊羹を売る店、細工物を並べている店が軒を連ねる。特に昔からの「日光彫」は夙(つと)に有名である。
暫く歩くと朱も鮮やかな神橋が見えてきた。神橋の横に仮橋があり清サンはそこに立った。
大谷川(だいやがわ)の渓谷は確かに絶景だった。漸く日光に来た実感が湧いた。
神橋は「常人通さず」という。何故だろう?、神格化された「大権現」のみがお通りになる
橋なのだろうか?。清サンは思いに耽りながら急ぎ足で宿に向った。
山あいの日暮は早い。
二人を乗せた人力車も早足で私を追い越して、駅の方に走っていく。
宿に戻り好きな酒を頼んだ。
先ほど土産屋で手に入れた「日光諸社案内記」を、徳利を傾け乍念入りにチェックした。
田山花袋も『大谷川に架かる目も覚めるような鮮やかな神橋は、日光のシンボルで、そこから眺める景色は見事である』と記述している。
日光東照宮は全国に知られた神社で、清サンが一番に参拝したい神社の一つであり、その後、複数回訪ねている。
つづく
次号は、鬼平金四郎が発行した「日光諸社案内記」の掲載
日光東照宮は初代将軍・徳川家康を神格化した「東照大権現」を祀る。
一昨年(平成25年)日光東照宮の改修工事が開始され発見があった。
国宝陽明門の西面に描かれている大鶴の壁画である。江戸時代中期(宝暦年間)でおよそ200年以上前の絵である。
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徳川家康公は晩年駿府(すんぷ)城で隠居し、元和(げんな)2年(1616)同城で没した。久能山東照宮にも祀られている。没後400年祭の準備も着々と始められ、賑やかになりそうである。
昨年の夏、従兄姉会の折り「日本三東照宮」の一つに数えられる、愛知県・鳳来町の「東照宮」を訪れた。
松平弘忠(家康の父)の夫人伝通院於大の方が鳳来寺薬師如来に祈願して、家康が生まれたと伝えられている。その因縁により三代将軍・家光が造営したもので、
出来あがったのは四代将軍・家綱の代で、慶安四年(1657)江戸時代初期の建築法を遺す。
貴重な建物として、国の重要文化財となっている。
前述の時刻表の裏面に「汽車乗客心得」の注意書きがあるので、記しておきます。
〇小児四才未満ハ無賃 四才以上十二才未満ハ半額
〇五十哩以上ノ切手ヲ所持サル方ハ左記「ステーション」二限リ何レニテモ下車サレ再ヒ乗継グヲ得へシ
熊谷 高崎 大宮 宇都宮 西那須野 白河 郡山 福島 仙台
一ノ関 盛岡 尻内 八ノ戸
〇五十哩以上ノ切手通用期限左ノ如シ
五十哩以上百哩未満二日 百哩以上二百哩未満三日
二百哩以上三百哩未満四日
三百哩以上四百哩未満五日 四百哩以上六日
〇手荷物ハ旅客ノ手廻リ品ノミ二シテ上等旅客ハ一人二付目方百斤迠
中等ハ六十斤迠 下等ハ三十斤迠無賃
〇此表二ハ下等賃金ヲ示 上等ハオヨソ三倍 中等ハ二倍ニ当ル
※・一哩≒四㌔ ・一斤≒600g ・切手は切符のこと