日本三景・松嶋の松化石と三交の松「旅枕」(8)
高さは約五~六尺(1.5~1.8米)ほどで、胴巾は二尺(0.6米)は裕に有ろうかという大きな松化石に驚いた。どうしてこんな化石が出来たのか不思議でならず何度も見回っていた。松の化石は非常に珍しいと思った。
もう一つ見ておきたい場所があった。それは三交の松である。松化石から北西に少し行った駅舎の近くで、高さ一丈三尺(約5米)、巾一丈(約3米)はあろう大きなな岩塊の上に、大赤松をまん中に、左右それぞれ梅と桜の木が交差するように生えている。
正に芸術的な雰囲気があり清サンもこれには唸った。
手元に「宮城県史 15 博物」昭和31年3月31日発行がある。その中に次のような記述があるので引用しておきます。(177頁)
「(前略)岩塊上に、二株のアカマツを主体とし、サクラ・ウメの二樹を交えて、互いに枝葉を連ね相交錯して生茂し、三交の松と呼ばれて奇観を呈していたが、全部枯死してしまった。
現在は岩を中心にロータリーを設け、松の枯幹七,八尺ばかりと岸壁に密着した太い根を残し、更に代木を植えて、往時の姿をしのばしめるよすがとしている。」
現在、前述の松化石の所在が不明です。三交の松も枯死したと言う。
又、昨今鳥の糞害で松が枯れていくとニュースで聞いた。
美しい松嶋の松が何時までも輝いて居てほしいと願うばかりである。
高知が生んだ文豪大町桂月(1869~1925)が枯死した三交の松を詠んだ歌が、同史に掲載されているので記しておきたい。(99頁)
『梅桜、松を真中におとなしく』
今は植替えした松をみて心なしか、大人しく優しく詠んでいる。
余談になりますが桂月といえば、大正14年、下北半島に在る仏ケ浦で詠んだ和歌がリアルで、小生には強く印象に残っている。
『神の業
鬼の手づくり仏宇陀(ほとけうた)
人の世ならぬ処なりけり』
※仏宇陀(ほとけうた)は仏ケ浦のこと
十年ほど前、友人夫妻6人と仙台→松嶋→天童と旅したことがある。その時松嶋の南部鉄屋さんで購入した風鈴が、今も我が家の軒下で変わらぬ音色で鳴いている。
確かそのお店は、観月楼の左(北)隣りに有ったと記憶している。
お店で鳴らし聞いたその時の音色と全く同じだ。
「南部鉄の風鈴は、何年経っても音は変わらないですよ!」女店員さんの言葉はほんとうだった。
南部鉄の風鈴は、四季折々の音色で心を癒してくれる。
写真を撮るので始めて布で綺麗に拭いた。
錆は殆んどなく光り出した。
南部鉄は不思議な鉄だ!!。
次回は「清サン夜行列車に乗る」を掲載します。