東京見物(一)「旅枕」(10)
番町(純造宅)へ行く前に上野駅で東京全図と題した地図を購入した。厚板のボール紙の表紙には、明治27年3月成、凡2万分ノ1割とあり、埜暉閣蔵とある。(下図参照)広げると不忍池が近くにあり行くことにした。
リュックを背負い着物の裾をまくり上げ、徳利を肩に掛けて歩く姿は少々異様である。仙台で買った藁草履三足が、徳利の荒縄に括りつけてある。
行き交う人はたいてい視線を清サンの顔にあて、ニヤッとしながら通り過ぎて行く。
「あゝいう輩は結構酒のみが多い!」清サンには分かるらしい。
東京全図:明治24年4月13日出版
編輯兼印刷発行者 嵯峨埜彦太郎
東京市神田区橋本町2丁目9番地
隆盛堂 和田香山制(製?)
寸法740×530
※発行日表紙→明治27年3月とある?
不忍池に着いた。思った以上に大きい池である。寛永2年(1625)寛永寺建立の際池に弁財天を祀ったと聞いた。上野公園の南西部にあり、蓮の花が咲くころ(夏)はきれいだろうと思った。
時刻は午後3時を過ぎた。
番町まで1里6丁(4.5k)ほどある。叔父・純造に土産の酒徳利を肩に掛け直し歩を進めた。
午後4時半過ぎ6日ぶりに麹町上2番町の純造宅の門をくぐった。何せ広い屋敷だ。ゆうに千坪は超えると言う。この麹町一帯は幕臣の旗本が多く住んだところだ。
叔父・純造が玄関まで出迎えてくれた。
「清サン疲れただろう、ゆっくりしていき給え」叔父が労ってくれた。
「日光東照宮→仙台→塩釜神社→松島→(夜行列車)→上野駅→不忍池→番町」と、一通り旅した所の報告をした。
土産の仙台の地酒で話が盛り上がった。
昭和18年11月発行の男爵郷誠之助君伝(以降「君伝」と言う)に番町の地図と屋敷の写真が掲載されている。抜粋しておきます。
次回は東京見物(二)を掲載します。