清サン夜行列車に乗る [旅枕](9)
東北本線の時刻表を引っ張り出し下り線に目を通した。現在の時刻は、午後3時だ。仙台へ立寄るには塩釜まで船で行き、塩釜発午後3時55分→仙台4時25分着の汽車が良い事が解った。
目的は従兄の郷誠之助が、かって仙台中学で過ごした2年間(誠之助13歳~15歳、明治10年初夏~12年春)の思い出の地を訪ねるためだった。
先日買い求めた仙台の絵図を広げた。(下図参照 前出)
メモしてきた仙台中学の住所、仙台市東二丁目を探すとそこは憲兵本部とある。取り敢えず行く事とした。
やはりそこは憲兵本部だった。
また、世話になって居た成川尚義氏(宮城県大書記官)宅や、中学の寄宿舎を訪ねたが良く解らなかった。あれから15年、仕方がないと想った。
ただ、誠之助が居た仙台の地を二度も踏めたことに、ある種の満足感が湧いた。
師範学校の隣に中学があるとも聞いていたが、そこにも無かった。
勾当台(こうとうだい)通りにある宮城県庁から停車場まで、約半里(2㌔)の道程を人力車に乗った。今度の旅で初めてで実に爽快だった。
夕闇せまる駅前通りのガス灯が幻想的で、自分を迎えてくれているように思えた。
ところで、誠之助は東京から仙台までおよそ96哩(≒384㌔)を、人力車を乗り継ぎ5日間で到着したという。
先日宿を取った大泉梅次郎が営む停車場まえの支店で腹ごしらえをした。
頼んでおいた干物の詰め合わせと、荒縄で縛った大徳利の地酒を土産に、
0時30分発の夜行列車に乗った。
停車時間は15分ほどあった。
リュックを棚に乗せ大徳利を足元に置き腰を降ろした。
汽笛が鳴りゆっくり動き出した。上野駅まで長い汽車旅だ。
時速は30km程度であろう。
ガクン・ギュウ連結部の音で目が覚めた。福島の駅だった。時刻は午前3時半少し前で、ニ三人の乗降が有ったが客室はかなり空いている。みんながそうしている様に、自分もリュックを枕に横になった。
朝が白々と明けてきた。窓の外をボンヤリ眺めていると、ガクンと音がして急に速度がおちた。白河の駅だ。
「弁当!弁当は如何!」の声で窓を開け.竹皮で包まれた握り飯とお茶を買った。内の梅干しも沢庵も塩が良く効いていたが美味しく頂いた。「そういえば行きもここで昼食を買ったな!」と。そんなことを想い出した。
汽車は白河駅を午前6時25分発→宇都宮9時00分→上野駅午後12時25分着。
仙台から都合12時間45分、2円15銭+15銭(塩釜→仙台)〆=2円30銭の汽車賃となった。
上野から麹町の番町(純造)へ急いだ。
手元にある「要説 宮城の郷土誌」に仙台警察の大時計の記事が載っていますので記しておきます。
問 『明治15年に完成した時計塔の大時計が、945円で出来たと言われています。当時の貨幣価値を推定する手掛かりの一つとして、その年の米価を教えてください。』
答 白米一升(1.5kg)≒8銭5厘
又、一石(150kg)≒5円~4.5円
因みに建物総工費:12.025円とあります。
※一石(いっこく)は大人が平均一年に食すお米の量です。
※「要説宮城の郷土誌」を快く貸出し頂いた茨城県立図書館様、仲介の労を下さった岐阜県立図書館様には厚く御礼申し上げます。
つづく 次回は「東京見物」を掲載予定です。