第四回内国勧業博覧会の「旅枕」(13)
明治28年(1895)「平安遷都1100年記念祭」の一つとして、第四回内国勧業博覧会が開催された。過去3回は東京での開催で、初めて地方で開かれた勧業博であった。
好奇心旺盛な清三郎こと清サンは早速2泊3日の旅支度をした。
明治28年4月8日(月)午前5:00黒野村を発った。今朝も倅・喜蔵の荷馬車に揺られ6:00前に岐阜駅に着いた。
岐阜駅発6:38 ⇒ 京都駅着11:00 (料金:75銭)※上等は3倍増
京都駅に着いて知ったことがある。それは七条駅から会場の岡崎公園へは市電が走り便利だという。京都駅で新撰名所京美也げ図絵(下図参照)を買い求め、七条から日本で初の市街電車に乗り会場に向かった。
1.新撰名所京美也げ図絵・第四回内国博覧会平安記念大極殿
・発行日:明治27年7月28日
・住所:京都市下京区東木屋町通松原南入材木町22番戸
・著作兼発行印刷者:不二良洞
この第四回博覧会は従来は大阪が本命だった。そこへ京都が名乗りを挙げたので激しい誘致合戦となった。東京遷都となり、衰退した京都商業界の復興策としては良かったと言えるでしょう。
前年(1894)日清戦争が勃発し戦時中であったが、殖産興業は国の政策として重要であると位置づけ開催された。
市電を降り北へ暫く歩いた。「疎水」の橋を渡ると大きな噴水場があり、両側には売店が並ぶ。二枚目のカラーの絵図(下図参照)を購入する。
2.第四回内国博覧会平安神社大極殿之図(カラー)
・発行日:明治28年3月28日
・住所:京都市上京区仁王門通□東大菊町8番戸
・発行兼印刷者:尾崎良造
・著作人:浅井末吉(京都絵画館)
更に3枚目の絵図を会場内で買い求めた。(下図参照)
3.第四回内国勧業博覧会及平安記念大極殿建築落成図
・発行日:明治28年4月7日
・著作者兼発行印刷者:京都市下京区三条通り柳馬場東入中ノ町32番戸
鳥居猪之助
雄大な絵図(下図参照)を前に釘付けになった清サンはもう1枚買うことにした。そこには記念殿の事、第四回内国勧業博覧会の事の由来が書かれている。
定価金五銭とあるが思い切って購入した。これで黒野に帰っても皆に説明できると清サンは思った。
4.第四回内国勧業博覧会及大極殿之図
・発行日:明治28年4月3日
・著画兼発行者:京都市下京区室町通高辻上ル山王町12番戸
吉原武雄
・印刷者:京都市上京区柳馬場□川下ル6丁目4番戸 井手正三
4.第四回内国勧業博覧会及大極殿之図の由来記について掻い摘んで記しておきます。
・記念殿の事
『記念殿は洛東の岡崎に在りて、この記念殿と称する人は、実は今から遡ること1100年まえ、第50代桓武(かんむ)天皇がここ京都に都を遷し平安城を開かせ給わった。
朝儀の正殿として、最も荘厳華麗を旨とし営まれる大内裏朝陽堂の一部として、大極殿を模し奉る。』
・第四回内国勧業博覧会の事
『同博覧会は平安神宮の前より建築し、西南二方は運河を以って境界とし、東へ南禅寺畔インクラインの北に及びその地域頗る広く極めて壮大なり。
殊に異観をなすべき大噴泉の水源が高い所にある故、噴水は数十尺の上まで跳びはねる。
またその林泉の周りには奇石を配しているから、流水の曲折が自ら苑芸の妙を表しているし、茶亭の風雅を愛することは盆栽や草木の鑑賞に充分足るところだ。』
※従って平安神宮の創建は明治28年(1895)であり、今から121年前、大還暦が済んだところである。
第四回内国勧業博覧会に付いてデータを記しておきます。
・会期:明治28年(1985)4月1日~7月31日(122日)
・会場:京都 岡崎公園
・敷地面積:50.558坪
・会場建坪:8.744坪
・入場者数:1.136.695人
・出品人数:73.781
・出品点数:169.098
・褒章数 :17.729
・経費 :1.093.973円
※4月10日:京都博覧会の見学を昨日までに終えた清サンは、昨日見学できなかった、美術館と水族館を観て回り、最後にもう一度平安神宮にお参りし会場を後にした。
午後からは近場の南禅寺(臨斎宗)と知恩院(浄土宗)を参拝し再び市電に乗り、京都駅
から帰宅の途についた。
京都駅発16:43⇒岐阜駅着21:35(料金:75銭)
※時刻や料金は明治27年11月1日発行 汽車・汽船旅行案内 東京・庚寅新誌社に依る。
≪参考文献≫
・「博覧会の時代 明治政府の博覧会政策」著者:國 雄行 岩田書院 2005年5月
※尚、以下3枚の写真は同本より転写したものです。
第四回内国勧業博覧会に東芝が出品した「風車・ウインドミル」で
『制作良好効用尠(すく)ナカラズ』と云う審査理由により「進歩三等賞」を受賞した。
※風俗画報 臨時増刊第94号より
※次回は名古屋を中心にお送りします。