郷清三郎こと清サンの「旅枕」(1)
2015/01/20
清サン
近所では旅好きの“清サン”と呼ばれていた。 本稿ではそれに倣い“清サン”と記すことにする。 『♪気笛一声新橋を・・』オールドフアンには 懐かしい鉄道唱歌である。 確か蒸気機関車が日本で初めて新橋駅~横浜駅間を 走ったのは明治5年(1872)のことで、 東海道全線(新橋駅~神戸駅間)が同22年に開業、 その2年後の同24年に東北本線・上野駅~青森駅間が開業した。 (この本線開業には渋沢栄一の尽力大であった。)
郷純造より(多賀)神社を造営する使命
それ迄の清サンの旅は徒歩で「お伊勢さん」や「金(名古屋)城」、
近間の「谷汲山・華厳寺」位であったが、その範囲は大幅に拡がった。
実は、清サンの旅は物見遊山の旅では無く、或る“特命”を担っていた。
それは・・・、
叔父・郷純造より生まれ故郷黒野の村に、鎮護の神として
郷本家の鬼門(北東)の位置に遷座すべき、
一. (多賀)神社を建立すること。
一. 小野・正法寺(郷家の旦那寺・真言宗)境内に観音堂を建立すること。
一. 岐阜県谷汲山華厳寺・本殿前に灯籠一対を建立すること。
神社仏閣の見学は任務の一つでもあった。