名古屋名所案内図・各所抜粋「旅枕」(15)

2016/09/13
名古屋名所案内図・各所抜粋

名所案内図の沿革
・発行日:明治42年4月18日
・著作者兼発行者:小高安太郎
         名古屋市中区裏門前町一丁目483
・発行所:文高堂     仝上
・印刷所:中川石版所
     名古屋市中区門前町七ツ寺219番戸

※前回(14)網羅できなかった名所を紹介しておきます。
・愛知県庁・商業会議所・名古屋郵便電信局・電気鉄道(市電)
・御園座・大須観音・熱田海岸・建中寺&若宮八幡社
・名古屋停車場&愛知停車場


名古屋名所案内図(545×780H)

名古屋名所案内図(545×780H)

ここで一言 1.愛知県庁

清サンが訪れたと思われる名所を転載しました。
明治33年(1900)4月1日南武平町に移転された県庁の絵図であり、南久屋町から移転した庁舎です。
この庁舎は昭和13年(1938)4月11日に現在の庁舎に移るまで使用された。
※尚以下の説明も、
 ・愛知県の歴史 編集責任 林 英夫 1987年初版
 ・愛知千年企業 北見昌朗著 2013年初版
 ・愛知県の歴史散歩(上・下)
を参考にしました。

※次回は美濃国 谷汲山・華厳寺をお送りする予定です。

愛知県庁

愛知県庁

2.商業会議所

明治23年(1890)名古屋商業会議所は設立された。
その後昭和3年(1928)名古屋商工会議所に組織変更された。

尚、初代の会頭は伊藤祐昌で明治14年~明治18年の4年間の在職だった。
又、伊藤氏はいとう呉服店(後の松坂屋、現・大丸松坂屋百貨店)のオーナーであった。

商業会議所

商業会議所

3.名古屋郵便電信局

明治21年(1888)6月、郵便局電信局が合併をし、名古屋郵便電信局となった。
住吉町1丁目に新庁舎は建てられたが、同24年濃尾大地震のため倒壊した。

名古屋郵便電信局

名古屋郵便電信局

4.電気鉄道(市電)

明治31年(1898)、名古屋電鉄の市電が走った。笹島~県庁前の4区間が開通した。京都に次いで日本で二番目となる。

広小路を歩けば、電車が通る!チンチン御園か柳橋か!ステンションか!!」と、当時唄われた。

電気鉄道(市電)

電気鉄道(市電)

5.御園座

御園座は明治30年(1897)5月17日開場した。
杮葺落(こけらおとし)興行は、初代・市川左団次(1842~1904)一座の役者が勢揃いし、入場できないお客さんで会場前には大勢の人だかりができ、大盛況だった。
御園座の創立者・長谷川太兵衛は「名古屋にも東西に負けない一流の劇場を」という強い信念で創った。
当時として御園座はモダンな建物で、近在近郷から人々が集まり垂涎の的だった。
尚、名古屋には:・千歳座(南桑名町)・新守座(本重町)
        ・音羽座(南伏見町)・室生座(大須)
        ・末広座(末広町)
等があった。
 

愛知県庁

御園座

6.大須観音

大須観音は北野山真福寺(真言宗)宝生院という。創建の地名から大須観音と呼ばれている。
幾多の変遷を経て、慶長17年(1612)徳川家康は犬山城主・成瀬正成に命じて洪水の恐れの無い、現在地に移した。
浅草観音(東京都)、津観音(三重県)と並んで、日本三大観音の一つとも言われる。

大須観音

大須観音

7.熱田海岸(港)

名古屋港の前身で、熱田海岸の沖合は遠浅で大型船の入港を阻む要因となっていた。
この絵図の翌年、すなわち明治43年(1910)に名古屋港の第一期工事が完了し、3000トン級の船舶が10隻まで停泊出来るようになった。

熱田海岸(港)

熱田海岸(港)

8.建中寺 9.若宮八幡社

8.建中寺(けんちゅうじ・浄土宗)は尾張徳川家の菩提寺である。
慶安4年(1651)2代藩主徳川光友が父・義直を弔うため創建した。
天明5年(1785)の大火でほとんどが焼失したが、総門三門のみが残り今に伝えている。

尚、その北には名刹・蓬莱山(ほうらいさん)徳源寺(臨済宗)がある。
徳源寺織田信長の第2子信雄(のぶかつ)の創建である。

9.若宮八幡社仁徳天皇、応神天皇、武内宿禰命(たけのうちすくねのみこと)を祀る。
天文8年(1539)織田信長の父・信秀により再建された。その後、徳川家康名古屋城築城の折り現在地に移し、城下名古屋の総鎮守とした。

現在北側を走る通称100m道路の名称若宮大通は, ここ若宮八幡社から採っている。

愛知県庁

建中寺(右)・若宮八幡社(左)

10.名古屋停車場 11.愛知停車場

10.名古屋停車場は明治19年(1886)突貫工事により開業した。
当時は笹島ステンションと呼ばれていた。
明治25年(1892)前年の濃尾大震災で倒壊した初代の駅舎に代わり2代目の駅舎(絵図)が完成した。

11.愛知停車場は明治29年(1896)名古屋停車場のすぐ南方に建設された。しかし、鉄道国有法により関西鉄道国有化されたことにより明治42年(1909)廃止された。

愛知停車場(絵図・左)は時計台もあり、洋館造りの瀟洒な建物で名古屋停車場より立派なものであった。
わずか13年間存在したが、大正2年(1913)7月より岐阜駅の駅舎として再築され、太平洋戦争の空爆で焼失するまで使用された。
  

名古屋停車場(右)・愛知停車場(左)

名古屋停車場(右)・愛知停車場(左)