東京見物(一)「旅枕」(10) 

2015/08/20
東京の地図を購入(嵯峨埜彦太郎)

番町(純造宅)へ行く前に上野駅で東京全図と題した地図を購入した。厚板のボール紙の表紙には、明治27年3月成、凡2万分ノ1割とあり、埜暉閣蔵とある。(下図参照)広げると不忍池が近くにあり行くことにした。
リュックを背負い着物の裾をまくり上げ、徳利を肩に掛けて歩く姿は少々異様である。仙台で買った藁草履三足が、徳利の荒縄に括りつけてある。
行き交う人はたいてい視線を清サンの顔にあて、ニヤッとしながら通り過ぎて行く。
「あゝいう輩は結構酒のみが多い!」清サンには分かるらしい。

東京全図1(740×530) 

東京全図1(740×530) 

東京全図:明治24年4月13日出版
     編輯兼印刷発行者 嵯峨埜彦太郎
     東京市神田区橋本町2丁目9番地
     隆盛堂 和田香山制(製?)
     寸法740×530
       ※発行日表紙→明治27年3月とある?

東京全図2(740×530) 

東京全図2(740×530) 

不忍池・弁天

不忍池に着いた。思った以上に大きい池である。寛永2年(1625)寛永寺建立の際池に弁財天を祀ったと聞いた。上野公園の南西部にあり、蓮の花が咲くころ(夏)はきれいだろうと思った。
時刻は午後3時を過ぎた。
番町まで1里6丁(4.5k)ほどある。叔父・純造に土産の酒徳利を肩に掛け直し歩を進めた。

不忍池 弁天(東京全図より抜粋)

不忍池 弁天(東京全図より抜粋)

不忍池 周辺(東京全図より拡大)

不忍池 周辺(東京全図より拡大)

麹町の純造宅に到着

午後4時半過ぎ6日ぶりに麹町上2番町の純造宅の門をくぐった。何せ広い屋敷だ。ゆうに千坪は超えると言う。この麹町一帯は幕臣の旗本が多く住んだところだ。
叔父・純造が玄関まで出迎えてくれた。
「清サン疲れただろう、ゆっくりしていき給え」叔父が労ってくれた。
「日光東照宮→仙台→塩釜神社→松島→(夜行列車)→上野駅→不忍池→番町」と、一通り旅した所の報告をした。
土産の仙台の地酒で話が盛り上がった。

ここで一言(1)

昭和18年11月発行の男爵郷誠之助君伝(以降「君伝」と言う)に番町の地図と屋敷の写真が掲載されている。抜粋しておきます。

次回は東京見物(二)を掲載します。

東京全図2(740×530) 

明治2年麹町界隈の図・出納司ゴウ(君伝より))

純造邸の門と屋敷の一部(君伝より)

純造邸の門と屋敷の一部(君伝より)

ここで一言(2)

清サンはその後数度上京している。その都度地図を購入している。何処で購入したかは定かで無いが、よく目をとおしている。

お江戸絵図(900×650・一部780)

お江戸絵図(900×650・一部780)

分間懐寳御江戸絵図:天保10年(1839)
          江戸日本橋南壱町目
          須原屋茂兵衛版

東京全図2(740×530) 

お江戸絵図 御城拡大図

お江戸絵図 版元

お江戸絵図 版元