塩竃神社~松島の「旅枕」(6)

2015/05/16
塩竃神社~松島

黒野村を発って七日目の朝を迎えた清サンは、テンションが揚がっていた。どうしても観ておきたい、塩竃神社に逢えるからだ。駅から西へ歩くと、こんもりとした小高い丘が見えてきた。

国幣中社 塩竃神社明細全図 明治24年2月16日(580×380)

国幣中社 塩竃神社明細全図 明治24年2月16日(580×380)

十丁程で神社に着いた清サンは、大手前(正門前の意)にある鳥居の正面に立ち、右手の標柱に目をやると、国幣神社と書かれその下に、
・志波彦神社(しわひこ)
・塩竃神社(しおがま) 二社名が並列書きされていた。
「両社が何故同居しているのだろう?、或いは合祀されたのだろうか?」、清サンは考え乍石畳みの坂を登った。帽子を取り一礼をし鳥居を潜ると、階段が見上げる先まで続いているのに少し驚いた。途中何度か休み乍も登りきった。
先ず社務所に寄り塩竃神社の絵図(下図参照)を買い求め、一通り目を通し随神門に向った。迎えてくれた随神門は、石畳みの上に整然と立っており更に進むと正門にでた。
正門を抜けると四方塀に囲まれた境内に入る。左手に神撰殿、右手に御拝殿があり 正面に、左右・宮拝殿が鎮座している。更に奥には左・経津主大神(ふしつぬしのかみ)、右・武御雷大神(たけみかずちのかみ)の両祠(ほこら)が並んで鰹木(かつおぎ)を枕に両角の千木(ちぎ)が凛と聳えている。
境内にある塩竃桜と伊達周宗(ちかむね)が寄進した大きな燈籠を見学し、隣の志波彦神社を参拝した。ここから見る塩竃湾は美しかった。遥か先に浮かぶ、「金華山」を眺め清サンは我が黒野村で、朝な夕なに東に仰ぐ美濃国・金華山(稲葉山)を想い起こし少し感傷的になった。

一森山に両社は抱かれるように鎮座し、各々独立した神社である。海を往来する船の安全や人々の家内安全を守る神だと言うことも解った。そして、塩釜神社千百年の歴史の重みを感じた。

お昼を近くの茶店で取り塩竃の船着き場へ歩を運んだ。清サンはその道すがら黒野村に建てる神社のヒントが浮かんだ。

港界隈は割と人も多く賑わっていた。少々時間に余裕があるので散策をし、土産屋などを覘き歩いた。
清サンは松島へ行くのに帆舟にするか蒸気船にするか迷ったが、午後になり風が強く出てきたので後者を選んだ。始めて載る蒸気船の快適さ、海に浮かぶ島々の光景に、只々感激するばかりだった。およそ半時で松島の船着き場に着いた。そこは、 丁度清サンが今夜宿泊する観月楼の前だった。

・国幣中社 塩竃神社明細全図(下図参照)
編輯兼発行者:水間豊稲 宮城県宮城郡塩釜町四百六十二番地
印刷者:峰屋十馬 宮城県仙台市国分町二丁目五十四番地
出版日:明治二十四年二月十六日

つづく

次号は松島を掲載します。

塩釜停車場界図(詳細図)

塩釜停車場界図(詳細図)

ここで一言

清さんが社務所で求めた鳥瞰図(絵図)に目を通すと、右下に、
「塩釜停車場界図」と題して駅界隈の詳細図(下図参照)が描かれている。その中央に右(駅)から
1.〇サ→サイトウ
2.〇太→太田や
3.〇海老→ゑびや(三階建て)
三軒の宿が名を連ね,宿の旗が風に勢いよくなびいている。右端の停車場に、機関車が見てとれるし左端には警察署、火の見櫓?もあるようだ。
時刻表の裏に海老藤蔵、一軒のみが記載されていた。
3.のゑびやは名字からその屋号を付けたのだろうか?、海老藤蔵をブログで検索するとその後ゑびやを経て→松亀園となった模様である。

現在の海老藤蔵はこちら


  平成23年3月11日、東北地方を襲った地震や津波の傷跡は今なお深く、一日も早い復興を祈念します。

金華山

金華山

御釜神社

御釜神社

牛石明神

牛石明神

塩釜停車場界図(詳細図)

沖之井群島

鳥居正面

鳥居正面