鎌倉大仏の由来 和彦雑記(1)

2016/02/18
鎌倉大仏鋳造因由

「当寺は聖武皇帝の勅願に由り天平9年(737)行基菩薩の開創に係る、東国・総国分寺(あずまのくに・そうこくぶんじ)の旧跡なり。 抑当大仏は右大将頼朝公の志願に起り四条皇帝の、勅准を蒙り建長4年(1252)にこれを鋳造す。 大勧進は俊乗坊重源(しゅんじょうぼうちょうげん)の門弟、浄光上人鋳工は上総国(かずさのくに)矢名村の住人、大野五郎右衛門なり。 明治22年(1889)に至り638年を経たり、明応4年(1495)海涛激揚して伽藍悉(がらんことごと)く流失し、 今は只礎石を存するのみ」  

鎌倉大仏鋳造因由(153×370H)明治22年

鎌倉大仏鋳造因由(153×370H)明治22年

大仏の寸法詳細(下図参照)

※文中「建長4年(1252)大野五郎右衛門が鋳造す」とあり、平成28年(2016)の現在まで,765年を経ている。
又「明応4年(1495)海涛激揚して伽藍悉く流失し・・・」との記述があります。
※文献によれば,明応地震は,明応7年(1498)に起きた地震でマグニチュードは、M.8.2~8.4の巨大地震であり、死者は3万人を超えた。
この時、浜名湖と海が繋がり、また鎌倉の大仏殿が倒壊、流失したとされている。
※文中の送り仮名は、ひらがなに直してあります。(以下同じ)

仏身青銅総高5丈(15m)
〇周囲16間2尺(29.5m)〇面長8尺5寸(2.5m)〇横1丈8尺(5.4m)
〇白毫(びゃくごう)周囲1尺3寸(40㎝)〇眼長4尺(1.2m)
〇眉長4尺2寸(1.26m)〇耳長6尺6寸(2m)
〇鼻長竪3尺8寸(1.14m)横2尺8寸(84㎝)〇口広3尺2寸5分(97.5㎝)
〇日髻(にっけい)高8寸(24㎝)径2尺4寸(72㎝)
〇螺髪(らほつ)谷高8寸(24㎝)径1尺(30㎝)其の数830顆(つぶ)
〇膝径6間(10.8m)〇仏手大指周3尺(90㎝)余
〇白毫白銀其量3實600目(14.4㎏)〇眼晴精金也
 大仏別當 清浄泉寺高徳院

※1丈=3尺、1間≒1.8m、1尺≒30㎝、1寸≒3㎝
 1貫≒4㎏、1目(匁)≒4gで計算。

大仏の寸法拡大図

大仏の寸法拡大図

田山花袋の日本一周(前編)2007年復刻版

花袋は日本一周の「鎌倉とその附近」で長谷の大佛と題して記述している。 「前略停車場から約20町、坐像の大佛は奈良東大寺の大佛と共に我国著名の銅像であって、丈3丈5尺膝の廻り5間半、胎内に観音6體、阿弥陀三尊を安置してある。
鎌倉6代将軍宗尊親王時代即ち建長4年8月17日を以て鋳造を了したというのである。
拈華(てんか)微笑の容顔脈々と活きたように、実に巧妙の逸品であるのを以て、明治33年国宝に編入せられたのである。
境内には花卉(かき)数種あって、四時の眺望甚だ佳いのである」。

※巻頭の凡例に、大正3年4月.編者とあり、明治中期~大正初期に日本一周を旅したことが分かる。

草津温泉の花袋の標識(2015.5.18)筆者写す

草津温泉の花袋の標識(2015.5.18)筆者写す

小説家・田山花袋、明治26年(1893)来草

昨年(平成27.5.17~18)友人夫妻と4人で群馬の草津温泉を訪れた。
10年程まえ以来2度目である。驚いたのは、湯畑の湯量がかなり減っていることだ。
かつての賑わいも少々影を潜めているように映った。
その昔、行基や頼朝も入泉したと言う日本屈指の名湯の隆盛を、未来永劫、願うばかりである。

早朝ホテルより湯畑を望む

早朝ホテルより湯畑を望む

流石清サンも草津温泉を訪ねたと言う記録は無い。

西河原通りの傍らに咲くツツジ

西河原通りの傍らに咲くツツジ

前回(平成17年)訪れた時湯もみショーに参加した。その時頂いたタオルと賞状です。
大勢の見物客の中、旅の恥は掻き捨てとばかり、勇気を出して参加した。湯もみ板を返すのは意外と難しかった。今回も是非参加しようと尋ねたが、時間、場所など変わっており叶わなかった。

実はその1年半程まえ、小生頭に出来たオデキの除去手術をした。治癒を兼ねての旅行でもあった。あれから10余年お陰で元気を貰った。、今になって振り返れば良い想い出である。

大仏の寸法拡大図

湯もみショー参加のタオルと賞状(平成17年)

草津白根山(標高2.171m)

朝出発まえに防災課へ状況確認をした。「火口1K以内は立ち入り禁止」とのこと。
噴火警報レベル2の白根山。遠く噴煙が見え、要所に係員が警戒にあたっていた。国道を蛇行しながら車を走らすが、余り気持ちの良い物では無い。
まだ沢山の残雪が眼に飛び込んでくる。

遠くに噴煙を望む白根山

遠くに噴煙を望む白根山

日本一高い国道292号 渋峠

日本一標高の高い国道を走ると、渋峠の頂上に「日本国道最高地点」の碑が鎮座している。気圧の関係で車内のお菓子の袋が、パンパンに膨らみ弾けそうだ。
前回と同じルートで渋峠を下り、横手山や熊の湯スキー場を横目に、信州善光寺を目指した。
横手山スキー場はかつて二度ほど来たことがあり、懐かしいスキー場だ。

日本国道最高地t点碑 標高2.171m

日本国道最高地t点碑 標高2.171m

信州善光寺御開帳(6年毎)

数え年7年に一度の「善光寺前立本尊御開帳」に参拝した。善光寺周辺は混雑する故、車は長野駅の駐車場へ入れ、タクシーで向かった。ズバリこれが良かった。
細い路地を縫うように走り、アッという間に本堂東側へ到着した。

参拝後駅に戻り一路岐阜市の自宅へ無事帰った。

大仏の寸法拡大図

御開帳参拝の行列

信州安曇野「大王わさび農場」

最後の紹介になりましたが、実は初日(5月17日)にわさび農場に寄り、旧軽井沢へ入り例の軽井沢テニスコートの近くの焼き鳥屋さんで昼食を取った。

広大な敷地に有るわさび農場は、北アルプスの伏流水が恵みをもたらしている。透き通った清水で長く手を入れていることができない程冷たい水だった。

北アルプスを背にわさび農場

北アルプスを背にわさび農場