谷汲山・華厳寺の念仏石「旅枕」(17)
先日、谷汲さんの本堂にある事務所へ、かつて清サンが求めた絵図(前号参照)を片手に、普門院・念仏石の居場所を尋ねに伺った。僧侶様が丁寧にその場所を教えて下さった。
その石は宝輪院の前で、地蔵菩薩像の側らにあるとの事。早速長い階段を下り、逸る気持ちを抑えつつ境内の石畳を足早に進んだ。
しばらく歩むと、左手に「延命地蔵菩薩」の大きな立像が目に入った。思わずその前に立ち進み手を合わせ一礼をした。地蔵菩薩はお地蔵さんと呼ばれ、道端などでもよく見かける子供の守り神さまだ。
一息ついて、ふと右手に目をやると、頭に苔を被った大きな石が鎮座していた。その石元に念仏石と刻まれた小さな標石が立っている。
立ちは五尺(≒1.5m)程、直径は3.3尺(≒1.0m)程のガタイである。
「あゝ!この石が清サンが子供の頃から、拝み撫でた念仏石だ‼」
手を合わせ憚らず念仏石の頭や,お顔を何度も撫でた。曾祖父がそうした様に・・・。
谷汲山普門院の念仏石は確か二つ並んでいたはずだ?。辺りを見廻したがそんな石は無さそうだ。旧普門院で現在は駐車場になっている仁王門の西へ向かった。
※毎年元旦の未明、谷汲さんに初詣をするようになって、かれこれ半世紀が経ちます。恥ずかし乍ら初めての対面でした。
広い駐車場をぐるっと一周り。最後に出入口の傍らで、木立ちの間に横たわる石を見つけた。一面苔に覆われている大きな石だ。恐らくこの石が念仏石の相方だと思われる。
※ここで普門院にあった念仏石のことについて推測します。
1)移設された時期:大正12年4月以降(延命地蔵菩薩像が建立された年)
2)相方の石:相方の石は普門院の跡地に祈念石(レガシー)として遺したのではないか?
今から1218年前、谷汲さんに大口大領と十一面観音菩薩(御本尊)が共に辿り着いた。
その時この地で杖をトンと突かれたそうだ。そこから芽がでて白ふじが咲いた。
そんな謂われ因縁の場所でもあります。(2.の写真左端参照)
谷汲さんは、さくらと紅葉の名所です。
駐車場を出ると直ぐ参道の傍らに、二本の標石が建てられ、次のような刻字があります。(下図参照)
「飛騨・美濃さくら三十三選の地 谷汲山門前の桜」
「飛騨・美濃紅葉三十三選の地 谷汲山華厳寺」
それぞれの季節には祭事も行われ、見物客で大変な賑わいを見せます。
ざっと列挙すると、
・2月:豊年祈願の谷汲おどり
・4月:さくら祭り
・5月:新緑まつり
・8月17日:お十七夜
・11月:もみじ祭り
折しも2018年、「西国三十三所納経」草創1300年を迎える。
谷汲山・華厳寺もそれに倣い、ご本尊の十一面観音菩薩像のご開帳(~10月31日まで)など多種多彩の催しがあると聞く。
※8月17日のお十七夜には5年続けて見物に出かけている。仁王門を背に和太鼓や横笛そして三味線の演奏は心に響き沁み渡る。今や谷汲さんの旧盆の風物詩であろう。
※次回はここで一言として、谷汲さん門前の「富岡屋(大口大領の末裔がご当主)のこと」をお送りする予定です。